恋愛には色んな例があると思うけれど、
普通でいう意味での(うまい表現じゃなかも知れないけど)恋愛の恋愛らしい部分は、どちらかというと不要で、
むしろ苦手なタイプもいるよね。
片想いの方が充実してる、 みたいな感じ(笑)
片想いは、楽だからね・・・そこが、罠。
そういう意味?では、片想いはやはり、「恋愛」とはまた違ったものなのかも知れないな。含まれてはいるにしても。
ただそれって、「恋愛」をしたことのある人にしか、解らないというか、掬い取れないほどの微妙なものなんだろう な。
そして、恋愛をしたことのある人というのは本当に少ないんだろうな。
お互いに片想いしあってるとか、恋愛に何かを託してその
利害が一致してる同士とかは多いだろ うけれど。
「恋を求める気持ち」が恋そのものが目的化している濃度が高い、というのは同じなんだけれど、
それだと「恋愛に憧れる」とも重なってきてしまって、
それよりも、もう一段深く?「新しい自分に出会ってみたい」みたいな欲求の表れ、とかそういうことなんじゃないか なと。
自分一人では得られないインスピレーションを与えられてみたい、というような・・・・
「恋が出来る」が、相手の存在如何である、というのもまさしくその通りだとは思う。
実際、自分が好きになった人が自分を好きになってくれることって、人生で一度あるかないかのことだと思うから。
でも、ここから先は、まあ、私の持論に過ぎなくなるかも知れないのだけれど、
「恋」が何か、とまで突き詰めると、それまでの自分を失ってしまうような、それこそ
「ロッ クの心」で
書いたような、
ある種、
自分が自分を守る為に築いてきた壁を打ち砕かれてしまうことを受け 入れざるを得ないようなことだ
と思うんだ。
だから、
「壁を築かずにいられない」だけの感受性と、平行して、「その壁を
失ってしまえるだけの自分」の、両方を、
それまでの人生でたった独りであてもないままに、積み上げられてきたかどうかが、実は問われてしまうん だと思う。
その準備が無くて、自分の動物的欲求も勿論含めた「圧倒的なもの」に魅了さ れてしまうだけだったら、
それこそ「自分を無条件に助けて救ってくれるものとして天から与えられたも の」という、宗 教にしちゃうんだと思う。
突然の、ミカキチ恋愛論(笑)。