John Lennon |
共犯意訳★ジョン・レノン「Jealous Guy / さかのぼり嫉妬」
(更新日;2009年12月28日 月曜日 2:52Am) 共犯意訳★ジョン・レノン「#9 Dream / 9本目の夢」 (更新日;2009年11月10日 火曜日 0:52Am) 共犯意訳★ジョン・レノン「Nobody Loves You / いい事ばかりはありゃしない」 (更新日;2010年12月8日 水曜日 0:37Am) 共犯意訳★ジョン・レノン「Happy Xmas (War Is Over) / クリスマスだヨ!全員集合」 (更新日;2009年12月8日 火曜日 0:56Am) 共犯意訳★ジョ ン・レノン「Out The Blue / 突然だけが、人生だ。」(更新日;2015年4月20日 月曜日 1:33Am) 共犯意訳 ★ ジョン・レノン「Watching The Wheels / 共犯者の余生」 (更新日;2009年10月9日 0:39Am) ジョン・レノン『ビートルズ革命』の出版社が、倒産っ。 (更 新日;2008年1月11日 3:39Am) オノ・ヨーコ(更 新日;2010年1月17日 日曜日 1:10Am) |
――ジョン・レノンはどういう人でしたか? 「ジョンは二つの側面を持っていた。 一つは、とても愉快でいたずら好きなこと。偽善的なヤツには、徹底的に嫌がらせをした。 もう一つは、純真な理想家。『イマジン』や『平和を我らに』などを作り出し た面だね。 彼がいないのはとても悲しいよ。」 On December 8, 1980, the night John Lennon was shot dead ! ――今回のベスト盤には、ジョン・ レノンがプロデュースした「トゥー・メニー・クックス」という未発表曲が入っています。
夢の組み合わせですね。 「この曲は、70年代(=1973年12月)の録音だ。 ビートルズは解散していたから、ジョンは暇だった。 ロサンゼルスの空きスタジオに行っては一緒に演奏していたんだ。 ある日、ジョンがこの曲を持ってきて『これをやらないか』って。 僕が歌って、彼がギターを弾いた。とても楽しかったよ」 「でも実はこの曲のことはすっかり忘れていたんだ。今回、人に勧められて『じゃあ入れよ うか』というのが本当のところさ」 |
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At 10:50 p.m. on 8 December 1980,
Mark David Chapman deliberately shot and fatally wounded John Lennon in front of Lennon's residence, the Dakota, when Lennon and Ono returned from recording Ono's single "Walking on Thin Ice" for their next album.
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「徴兵制度」とは、究極の福祉政策だ。 |
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Happy Birthday Mr. Jim Morrison ! 12 月8日
ジム・モリソンの誕生日に、ジョン・レノ ンが死んだ。 ぼくらは1943年と1980年の間の永 遠のループの中でロックを聴いているのかもしれない。 Unhappy dead day Mr.John Lennon !
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▲ジム・モリソン(Jim Morrison) 1943.12.8〜1971.7.3 ■本名James Douglas Morrison。 1943年12月8日フロリダ州メルボルンに、 海軍軍人の長男として生まれる。 ■作家や詩人を志すが、UCLAの映画科に入学。 そこでレイ・マンザレクと知り合い、 彼のバンドにヴォーカルとして参加した後、 ジム・モリソン(Vo)、レイ・マンザレク(Key)、 ロビー・クリーガー(G)、ジョン・デンズモア(Dr)から成る 「THE DOORS(ザ・ドアーズ)」を結成。 ベースがいない変則的なバンド構成で、 レイがピアノでベースパートを弾くのが特徴。 事実上のリーダーはレイ。 エレクトラレコードと契約後、 最初のシングル「Break on though」は売れなかったが、 2枚目の「Light my fire(ハートに火をつけて)」の 大ヒットで一躍人気グループに。 オリジナルアルバム6枚、ライブアルバム1枚、 ベストアルバム1枚、ヒットソング16枚をリリースする。 ■しかし、ステージ上でのスキャンダラスな行為や、 アルコール、ドラッグへの耽溺が問題となり、 演奏活動を続けることが次第に困難となる。 ■再起をかけた7枚目のアルバム『L.A.ウーマン』を出した 直後の1971年7月3日、 パリで入浴中に謎の死を遂げる。 死を看取ったのは恋人のパメラだけであり、 死因は薬物の影響を含め色々議論されたが、 明らかにされていない。 ■UCLA映画科の同窓生仲間に 映画監督のフランシス・フォード・コッポラがいた。 彼の代表作『地獄の黙示録』では、 ザ・ドアーズが活躍した当時のベトナム戦争を描き、 ヘリコプターが乱舞する幻想的なシーンに ザ・ドアーズの「The end(ジ・エンド)」を使用した。
1847年12月8日 中江 兆民 (なかえ・ちょうみん) 【啓蒙思想家】 〔高知県〕 [弘化4年11月1日]
1865年12月8日 ヤン・シベリウス (Jean Sibelius) 【作曲家】 〔フィンランド〕
1868年12月8日 徳冨 蘆花 (とくとみ・ろか) 【作家】 〔熊本県〕 [明治1年10月25日]
1903年12月8日 嵐 寛寿郎 (あらし・かんじゅうろう) 【俳優】 〔京都府〕
1921年12月8日 坂本 一亀 (さかもと・かずき) 【編集者】 〔福岡県〕 ミュージシャン坂本龍一の父親
1925年12月8日 サミー・デイビス Jr. (Sammy Davis Jr.) 【歌手、俳優】 〔アメリカ〕
1930年12月8日 名古屋 章 (なごや・あきら) 【俳優】 〔東京都〕
1931年12月8日 杉浦 直樹 (すぎうら・なおき) 【俳優】 〔愛知県〕
1943年12月8日 ジム・モリソン (Jim Morrison) 【ミュージシャン】 〔アメリカ〕
1947年12月8日 グレッグ・オールマン (Gregg Allman) 【ミュージシャン】 〔アメリカ〕
1953年12月8日 キム・ベイシンガー (Kim Basinger) 【女優】 〔アメリカ〕
1964年12月8日 長与 千種 (ながよ・ちぐさ) 【プロレス】 〔長崎県〕
1967年12月8日 大竹 一樹 (おおたけ・かずき) 【タレント】 〔東京都〕 《バカルディ》→《さまぁ〜ず》
1970年12月8日 和久井 映見 (わくい・えみ) 【女優】 〔神奈川県〕
1973年12月8日 稲垣 吾郎 (いながき・ごろう) 【タレント、俳優】 〔東京都〕 《SMAP (スマップ)》
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Grow Old With Me 老化の相対性理論
Intro: G D G作詞&作曲;John Lennon(1980年) 意訳;久保AB-ST元宏(2004年12月7日) G D G Grow old along with me ぼくを残して、勝手に一人で オトナになるなよ Em Bm The best is yet to be これから、もっとイイコトあ るんだからさ G D G When our time has come 時代がぼくらに追いついた ら、 G D We will be as one ザ・ビートルズ再結成だぜ C D G God bless our love 「ゴッド・ブレス・アメリ カ」ではなく、 C D G God bless our love ひとりひとりに、愛を Grow old along with me 君の老いは、ぼくの老い Two branches of one tree 二人で「トゥー・オブ・アス」を 歌ったっけ Face the setting sun 君の「フール・オン・ザ・ヒ ル」もいい曲だった When the day is done でも二人の最高傑作は「ア・ディ・イン・ザ・ライ フ」 God bless our love ぼくたちの作った曲は今でも 売れているかい? God bless our love 神よ、我らに印税を与えたま え Em Bm Spending our lives together ぼくら二人で作った曲は、世界旅行をしているよ Em Bm Man and wife together ぼくらが何度ケンカ分かれを しても、曲は永遠 C World without end そこは、果てしない世界 D World without end そこでは、ぼくらは永遠に死 ねない Bridge: G D Em C G A7 C D Em A7 C D G C G Grow old along with me 1980年12月8日に死んだぼくだけど、君と一緒に老いたい Whatever fate decrees 「運命」と呼ばれているモノ だって、 We will see it through ぼくらにとっちゃあー、ちょ ろいもんだぜ For our love is true ぼくらが作った曲はホンモノ だから God bless our love 「ゴッド・ブレス・アメリ カ」ではなく、 God bless our love 作曲家「レノン=マッカートニー」よ永遠に |
2004年12月4日(土)こんなCDを買った。 Wings / ウィングス 『Back to the egg / バック・トゥ・ジ・エッグ』 ボーナス・トラック3曲 (オリジナルLP;1979.6.8, CD;1995.11.8) ポール・マッカートニー(vo,b,g,p) リンダ・マッカートニー(vo,key) デニー・レイン(vo,g) スティーブ・ホリー(ds) ローレンス・ジュバー(g) Tracks 8, 13 : Rockestra line-up: ピート・タウンゼント、ディブ・ギルモア、 ロニー・レイン、ジョン・ボーナム、 ジョン・ポール・ジョーンズ、他総勢23人 Produced by Paul and Chris Thomas 定価\1750→中古\1344 ▲発売当時、私は高校3年生。あ れほど 夢中になって1975年にはLP『ヴィーナス アンド・マース』を聴いたのだから、本来は 熱狂的に発売を待って聴こうとした思い出 のアルバムになるハズだったのだろーが、 まったく無関心に通過していて、今回初め て聴いた。んー、いいアルバムじゃんか。 ロックしてるし、ポールお得意のコンセプト アルバムの展開の工夫もステキだ。総勢 23人の有名ロックスター(=オールド・ウェ イブ同窓会?)とゆー豪華オマケ付きだ。 それを録音した1978年10月3日はキース ムーンが死んだ9月7日から一ヶ月も過ぎ ていない。参加したピート・タウンゼントが 「毎年クリスマスにはこれをやるべきだ」と 言ったそうだが、キースの死をパーティで まぎらそうとしている悲しさがにじむ。その 願いに答えたのか1979年12月29日には このメンバーで、カンボジア難民救済コン サートを開催している。それは1960年代 をビートルズが支配し、1970年代はウィン グスが支配したことの宣言のようであった。 しかし、それはウソであったのだ。事実、 私はそれらの活動に無関心でいられた。 オールド・ウェイブの同窓会が演じる政治 活動よりも、同じロンドンでは、パンクスや ニューウェーブの連中がより切実な音を 出していたのだ。カンボジア難民救済コン サートが1970年代を美しく終らせなかった ことの証明はすぐにやってきた。それから たった18日後の1980年1月16日にポール は成田空港にマリワナを219グラム持ち込 んで逮捕される。さらに、同年12月8日に ジョン・レノンが射殺される。全てが悪い夢 のように展開してしまった。しかし、ポール は手を抜いていたわけではない。むしろ 滑稽なぐらいに全力投球であったのだ。 それが、2004年12月4日になって初めて このアルバムを聴いて私は分かったのだ。 これって、チョー遅い?いや。結局ポール の音楽は「永遠」であるということの逆証明 であるのだ。ただし、その「永遠」はいつで も成立する種類のものではなく、じっと時を 待っていながら時々、にょこっと顔を出す タイプのそれだ。このねじれたポップこそ ポールが世界人間国宝たる理由である。 今、想うのはジョンがロック・シーンから 隠居していた1970年代後半の5年間に、 ジョンの分までもがんばろうと、年々、鮮度 が無くなる自分に気が付かないフリをして ロックを一人で背負おうとしたポールの 責任感である。それを他人は滑稽に見た かもしれない。しかし、ただ一人、それを 真摯に受け止めていた男がいた。ジョン・ レノンである。私にはポールが似合わない カンボジア難民救済コンサートを演じた テレビの生放送を真剣に見つめるジョン の姿を容易に想像できる。この時、ポール はイヴェントの主旨には合わない「レット・ イット・ビー(=なるようになる)」を歌った が、それも1960年代をジョンと一緒に閉め くくった曲だと思えば、彼ら二人だけに しか分らない&感じられない暗喩がその 選曲に隠されていると思えなくもない。そ してジョンの最後の名曲「グロウ・オールド ウイズ・ミー(=一緒に歳をとろう)」は妻の ヨーコ・オノへではなく、ポールに対しての メッセージであったのかもしれないのだ。 |
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John Kerry
Desperately Links Himself to John Lennon. 民主党のジョン・ケリー大統領候補は、必死に自分を
ジョン・レノンと関連付けようとしている。
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Happy Birthday Mr. John Lennon ! He was
born in 9 October 1940. |
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戦時下の選挙 The election under the war ! |
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愛の研究
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「無差別★テロ」VS
「無差別★戦争」ショーが、世界同時生放送されてか ら、半年たった。
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ジョン・レノン 『GOD』を十回 聴いた夜 (久保元宏 1999.2)
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『ジョンの魂』 ジョン・レノン &プラスティック・オノ・バンド 1970年 『John Lennon / Plastic Ono Band』
A Mother (Lennon) Hold On (Lennon) I Found Out (Lennon) Working Class Hero (Lennon) Isolation (Lennon) B Remember (Lennon) Love (Lennon) Well, Well, Well (Lennon) Look at Me (Lennon) God (Lennon) My Mummy's Dead (Lennon) John Lennon -Guitar, Piano, Keyboards, Vocals, Producer, Composer, Design Phil Spector-Piano, Producer Billy Preston-Piano, Keyboards Ringo Starr-Drums Alan White-Drums Klaus Voormann-Bass Yoko Ono -Composer, Vocals, Wind, Producer, Woodwind, Design Eddie Hedges-Engineer John Leckie-Engineer Richard Lush-Engineer Phil McDonald-Engineer Andy Stevens-Engineer |
自分を語ることによって
世界を裏返すことが可能 ■「いばる」ことは、「甘える」ことであると、ある日気付いた。 そうすると、多くの疑問が、北海道沼田町の春の雪のように一遍に解けた。 サラリーマン社会や学校などで目上の者が目下のものを怒ることがある。 その多くは案外、理不尽なことが多い。 目上のものは、目下の者に甘えているのだ。 「こいつは、怒っても会社を辞めないであろう。」とか、 「学生=生徒は、教師に内申書という人質を預けているので反抗しないであろう。」とか。 つまり、いばり易い人とは、甘えん坊なのだ。 それを当てはめてみると、同様な情況は全て説明が可能になる。 かつて職業軍人という職種が日本にあった。 彼らはいばっていたらしい。彼らは何に甘えていたのであろうか? 「国民は軍人を尊敬=畏怖している。必ず従ってくれる。」という共同幻想の上での国民に対する甘えである。 つまり、あらゆるヒエラルキーは上層部から下層部に向かって甘えているのだ。 幼い子供は、両親や祖父祖母に対していばる。ここに「甘え」の構造があるのは明らかだ。 ■こうして私は、「ある日気付いた。」。レノンも、ある日、「I Found Out」。 当たり前の日常が、単なる既成概念=パブリック・イメージにしかすぎ ないことが、ささいなキーワードで解明される。 このアルバムは、レノンがそうして自身で再構築した概念の辞書である。 辞書だから、演奏形態も含めて全てがストイックな構成であり、並べられている項目(=曲のタイトル)も一語となる。 つまり、「Mother 」とは、「Working Class Hero」とは、「Isolation 」とは、「Remember」とは、「Love」とは、「God」とは? それらの説明が曲になっている。「A is B.」というように。 「God」の「神とは、痛みを測る計測器である。」という歌詞など見事である。 だから、たとえば「愛とは何ぞや?」と疑問に思ったら、「Love」を聞けばよい。 さらに、一語ではない曲は、それらを「I Found Out」するに当ってのエッセイである。 「Hold On」と時には内向的に、「Well, Well, Well」と時には攻撃的に自分自身を励ます。 既成概念を再構築するのは孤独(=「Isolation」)な作業だ。 その孤独な作業の途中経過すら作品になる。それはジョン・レノンという稀有なスーパースターであるからこその特権。 しかし、孤独の底からの吐露は、スーパースターという虚飾を剥いだ底での告白でもある。 虚飾を剥いだ痛々しいスーパースター以前のレノンを晒すために、 「My Mummy's Dead」という過去を露出する必要があったのであろう。 「Well, Well, Well」と強がるロックンローラーであっても、次の曲では「Look at Me」と甘える孤児ジョン。 さらに、その次の曲「God」では、甘ん坊ジョン少年の30年間の人生を否定してゆく。 壮絶な歌詞ながら、ジョン・レノンと同じ丸メガネのジョン・セバスチャンが率いるラヴィン・スプーンフルの 1966年の『魔法を信じるかい?』というヒット曲のパロディが繰り返されるというのも、 シニカルでありながらユーモアを棄てきれないレノン独特の作風だ。 30年間の人生を否定した後に用意されているアルバムのラストの曲が「My Mummy's Dead」というのも壮絶な人間宣言だ。 ■このようにジョン・レノンの人間宣言として受け入れられた『ジョンの魂』だが、 ジョンの非凡なところは個人のカミング・アウトを同じ地平で全てのものに当てはめていったところにある。 1969年3月のアムステルダムでのヨーコとの 「ベッド・イン」によるラブ&ピースの記者会見にはじまり、 世界中の首脳に平和へのメッセージと共にドングリ(←なんでやねん!?)を送ったり、 世界中の主な都市に「War is over! (If you want it.)」(戦争は終わった)という巨大広告を掲げたり。 ベトナム戦争後にロックを聴きだした世代の私は、それらの行為を奇妙なパフォーマンスとして事後に楽しんだが、 アメリカでの911以降の世界で同じコトをU2やオアシスやプリンスがしたとすれば、こりゃもースゴイ。 ■それにしても、「God」の歌詞、「ぼくはザ・ビートルズを信じない」はショッキングである。 しかし、そう公言しなくては前に進めない程、すでにザ・ビートルズは巨大な存在になっていたのも事実である。 ■サディスティックなロックンローラーが実は「甘えん坊」であったというカミング・アウトが、 当時隆盛であったどんなハード・ロックよりもハードな表現をしたのが、このアルバムだ。 全ての人が自伝を書けるように、 全ての人が自分を語ることによって世界を裏返すことが可能であるという表現の極北を示したアルバムでもある。 ■リンゴのストイックなドラムの刻みは、心臓の鼓動が何よりも魅力的なグルーブを持っていることを思い出させてくれる。 あのフィル・スペクターですら、このアルバムのコンセプトの前には装飾を剥いだのだ。 日本の中学生ですら聞き取り可能な英語の歌詞。 私にとって最も重要なアルバムである。 |
▲上記の私が 書いた『ジョンの魂』のレヴュー執筆の前後には、下記のメールのやりとりがあり ました。▼ | |
From: 梶川 朋希@TKB To: 久 保AB-ST元宏 Subject: 原稿依頼 Date: Tue, 12 Feb 2002 04:01Am |
BBSのコル トレーンに関する書込み、素晴らしいです。(嬉) TKBの3枚目のレビューも書いて欲しいけど、 全然別に、TKBサイト内にあるコンテンツ「My Favorite One! & My Friend」用に何か書いて頂けませんか? http://www.geocities.co.jp/Hollywood/2285/mfo.htm アルバムのレビューが主ですが、ネタは何でもOKです。 気持ちですが謝礼はします。 もちろん、締め切りは有りません。 いかがでしょうか? 宜しくお願いします。 |
From: 久
保AB-ST元宏 Sent: Saturday, March 02, 2002 8:10Am To: 梶川 朋希 Subject: Re: 原稿依頼 |
■こんにちは!久保元宏(39歳)です。 いよいよ、今月の31日に私もレノン&コルトレーンの享年になります。 昨日、沼田町旭町のWさんが首吊り自殺をしました。 今日の沼田は久し振りの吹雪です。 さて。 原稿、できました。お待たせ(?)いたしました。 一応、見てください。 ↓ ア ルバム『ジョンの魂』の原稿 ■修正などが必要でしたら、お気軽にご指示ください。 ざぁ〜っと一気に書いたものですので。 書くまでに悩みました。 どう書いても、作品の凄さに負けてしまいますからね。 ジョンが、あの気合で作ったアルバムですので、私もそれに答えなくてはいけないと いうヘンテコリンな気持ちが大きかったのです。 ■TKBのHPにUPされた後、半年後ぐらいに、『共犯新聞』にもUPしようと思います。 よろしいでしょうか? もちろん、初出は貴HPっーことで。 駄文、すみません。 あ、謝礼はいりません。 ■明日はひな祭りですねぇ。 それじゃ! |
差出人 : 梶川 朋希 宛先 : 久 保AB-ST元宏 件名 : RE: 原稿依頼 日付 : Sat, 2 Mar 2002 6:42Pm |
ありがとう。 素晴らしいね!サスガです。 2002年3月31日とは? こう表記した方が良いですか? |
From: 久 保AB-ST元宏 | Hi, this is Kubo. 久保です。 某所からア ルバム『ジョンの魂』の原稿を依頼され、書きました。 ■が、私にとって重要すぎるアルバムなので、どう書いてよいか悩んでいます。 感想を聞かせていただけると幸いです。 今日、私の町は吹雪。 |
差出人 : jimono 宛先 : 久 保AB-ST元宏 件名 : Re: アルバム『ジョンの魂』の原稿 日付 : Sat, 2 Mar 2002 06:48Am |
久保様 ジモノです。 読みました。 良かったですよ。 思いが伝わってきましたし、分析する視点も面白かったです。 『甘えの構造』なんて本がありましたが、 『甘え』という日本人独特の(というかこの言葉にいろいろな思いを凝縮しがちな)心理解釈から始まる貴兄の経験を 最初に述べられるのも面白かったです。 『フィルスペクターさえ、このアルバムのコンセプトの前では虚飾を剥いだ』というフレーズは このアルバムのコピーですね。ほくそえんでしまいました。 取り急ぎ感想をお伝えしました。 追伸:最近、絶対聞かなかったポールマッカートニーをなぜかよく聴くようになりました。 先月、ネバダに住んでいる元英語指導助手の友達のところで曲を作ったり録音したりして遊んでいたのですが、 休憩中にblack birdの演奏にはまってしまいました。なぜだか自分でもわかりません。 ですが、いまだ私はジョージハリスンが苦手です.....。 そうだ、先月フリーウェイで窓全開大音響でアルバム、イエローサブマリンをかけていたのですが、 なんだかあれってリンゴスターのアルバムという感じがしませんか? 私はジョージとポールの共同作品『ドライブマイカー』が一番好きです。バンドっぽくてドライブ感がありますよね。 なんだか急いで書いているのでとりとめがなく、少々分裂しています。 追伸が本文より長くなってしまうという本末転倒。すみません。 銀行強盗に加え、一週間もしないうちに隣の家に空き巣が入りました。犯罪の足音がだんだん近くなってきます。 帰り時です。帰ります。北海道で、新しい家を、探して住もうと思います。支離滅裂でかさねがさねすみません。 |
差出人 : "tera" 宛先 : 久 保AB-ST元宏 件名 : Re: アルバム『ジョンの魂』の原稿 日付 : Sun, 3 Mar 2002 01:51Am |
テラダヤです。「ジョンの魂」に関しては、私も過去に何度も考えてみたことがある。 このアルバムは常に別格であり、好きなアルバムだ。私は勝手に「精神的ハードロック」と呼んでいる。 サウンドが激しいハードロックとか、パンクロックとか、いろいろあるけど、これは精神がハードだ。 重要曲として、「マザー」「ラブ」「アイ ファンド アウト」「ゴッド」が挙げらるでしょう。 このアルバム、全体的に狂気的だよ。普通じゃない。だれをターゲットに作ったんだろう。 ジョージなら自分の曲の披露、リンゴなら別の一面、ポールはとりあえず曲はあるし演奏も一人でできるよ。 ってそれぞれのファーストってなんか新しいファンも視野にいれつつの出発だったけど、 ジョンは完全にビートルズファンに向いているよね。悪く言えばインにこもっている。 このシンプルなサウンドは演奏力よりも、気持ちだけで持っているよ。 自分をさらけ出すとか、せきだらのはしりでしょう。 当時のリアルタイムな世間の反応はどうだったのか知らないが、ファンには辛く、 ファンではない人は、キチがいかコイツは。だったのではないのかなぁ。 今でこそジョンは平和のシンボルだし、気持ちわるいくらい評価が高いが当時はどうだったんだろう? でもちょっと冷めた目でみると、「ルック アット ミー」はちょっとドノバンみたいなギターいいだろ、 「アイ ファンド アウト」ではやっぱオレってロックンローラーだろ、「アイソレーション」はオレってやっぱ歌うまいだろ。 みたいに彼の得意分野が凝縮され、ドラムは一番信用のおけるリンゴだし、失敗は許されない切迫感を感じ。 いずれにしても、自分の一番好きなアルバムだし、これがなかったら今のジョンの評価もなかっただろう。 それは確かだ。それくらい重要だよ。 「ロックってさぁ」みたいな音でもなく形でもなく、精神面でのロック談議って存在していなかったかも知れない。 ちなみにクレジットにジョンはギター、ピアノ、ボーカルはいいんだけど、ヨーコはWINDだぜ。 |
差出人 : "tera" 宛先 : 久 保AB-ST元宏 件名 : Re: アルバム『ジョンの魂』の原稿 日付 : Sun, 3 Mar 2002 01:51Am |
HI,久保です。 >だれをターゲットに作ったんだろう。 ↑ 当時のジョンは、露出狂だったのでしょう。 あの丸出しジャケットがいい例のように。 でも、露出が、そのまま表現になり、レベルの高い作品になる。 これは、芸術の理想だね。 >今でこそジョンは >平和のシンボルだし、気持ちわるいくらい評価が高いが当時はどうだったんだろう? ↑ ■そーだ。 > でもちょっと冷めた目でみると、「ルック アット ミー」はちょっとドノバンみたいなギターいいだろ、 >「アイ ファンド アウト」ではやっぱオレってロックンローラーだろ、 >「アイソレーション」はオレってやっぱ歌うまいだろ。 >みたいに彼の得意分野が凝縮され、 >ドラムは一番信用のおけるリンゴだし、失敗は許されない切迫感を感じる。 ↑ ■するどい。なるへそ。そーだね。 > いずれにしても、自分の一番好きなアルバムだし、これがなかったら今のジョンの >評価もなかっただろう。それは確かだ。それくらい重要だよ。 >「ロックってさぁ」みたいな音でもなく形でもなく、精神面でのロック談議って存在していなかったかも知れない。 ↑ ■このアルバムが無かったら、その後のソロ・アルバムの魅力も半減されるか・も。 > ちなみにクレジットにジョンはギター、ピアノ、ボーカルはいいんだけど、ヨーコはWINDだぜ。 ↑ ■あはは。あれは、某ホーム・ページから、コピーしたのです。 あたしも、あれ?と思ったよ。 ちなみに、私は今、1969年3月のアムステルダムでのベッド・インについて考察中。 http://www.amsterdam-ts.nl/special.html 当時はベトナム戦争まっただ中。髪をのばして徴兵拒否するのも、命懸けの行為だったのです。 約30年たった今、あのジョンとヨーコのベッドインの部屋も、新婚旅行用のスペシャルパッケージを組んでいるのですって。 一泊$500 |
差出人 : "大沼-HIT" 宛先 : 久 保AB-ST元宏 件名 : 雪の匂い(札幌・大沼) 日付 : Sun, 3 Mar 2002 11:30Am |
久保 様 思い入れが濃密ですと、なかなかスマートさを 確保できないものでしょうが、それは久保さんの 美意識が許さないのだろうと思います。 仲間内でテンコモリの想いを語り合う楽しさは チャットレベルになるでしょうし、ここは一つ 吟醸もしくは大吟醸までに研ぐように されてはいかがでしょうか。 昔、井上靖が「詩」と称してショートエッセーの ような文を発表していましたが、冒頭の 「今日、私の町は吹雪。」なんて、そんな匂いを 感じさせてくれます。 この匂いを最後まで気持ちよく残してもらえたら 嬉しいですね。ご存知のように匂いなんて一瞬の ものですが余韻をどうするかなのでしょうね。 トウシロウの戯言でごめんなさい。 札幌・大沼 拝 |
差出人 : サカタ@カナダ Tomo Sakata 宛先 : 久 保AB-ST元宏 件名 : Re: 「空中ピラミッド」の絵 日付 : Sun, 03 Mar 2002 9:53Pm |
■□ サカタともですジョンの原稿は面白かったです、なにも足し引きする必要がない感じ。 |
By.ジョン・レノン 赤文字の加筆&訳詩:久保AB−ST元
宏
Imagine there's no terrorist.
テロリストなんていない・と、想像してごらん。 It's easy if you try. 試してみるとカンタンなことさ。 No justice below us. ぼくらを支えている「正義」なんてモノも共犯幻想にすぎないのさ。 |
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▲John
Ono Lennon (1940.10.9-1980.12.8 Pm10:50/日本時間9日Pm12:50) 『レノン』 久保元宏(18歳) ポールが死んでもよかった。 でも、ジョンには死んでもらいたくなかった。 しかし僕は多くの人が「ジョンは神だ」とか「カリスマ的存在」 だとか言っているのには同調しない。 ジョンの本当のファンなら、そんな事は言えないと思う。 ビートルズのメンバーの中で最も人間的だったジョンは、 『神』の中で、全ての神的なもの(キリスト〜ビートルズまで)を 否定している。 だから僕らは、ジョンを人間として位置せねばならない。 しかし、文明にむしばまれて 人間性を失った人間がどんなに多いことか! 僕らはジョンの死を、 最も人間らしかった人間の死として悲しまなくてはいけない。 (1981年2月発行ミニコミ『AVANT-GARDE』8号から抜粋) |
ジョン・レノンのソロ・アルバム
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今日の一句 | 歴史から飛び出
せ! ★たとえば→4月27日の歴史★ |