で、とりあえず、
旭川市の住宅街に、ぽつん、とある
パン屋さん『ベッカライ麦麦堂』へ。
ここ、
パン屋さんなんだけど、
本も売ってる。
で、パンも、本も、
手作りなのだー!
そこで、パンも、本も(笑)大好きな、
みどりちゃんを連れて行った。
彼女は、ここの存在を知らなかったようで、
パンにも、本にも、興味津々。
本はパンに隠れて、控えめに並べてあった。
知らない人は、
これがパン屋さんが書いた本とは
気がつかないだろーなぁ。
店内は数十種類のパンの、いい香り♪
「あーん。いい匂いー♪」
と、言いつつ、
かわいらしいパン屋さんに
みどりちゃんの素性(?)を告げると、
客の切れ目に、
彼女が手作りで製本までしている本を
見せていただき、
ポスト・カードと合わせて、
いただいちゃった。 |
▲パン屋さんの花房葉子
さんは、イラストレーターでもあり、みどりちゃんと本談義♪
|
▲お店の正面には、日差
しの当たるテラス。
|
私がこのパン屋さんを知ったのは、ミカキチ@ろーら嬢の紹介♪
みどりちゃんがパン屋さんで作者の花房葉子さんからいただいた本は、
ミカキチが季里(きさと)さんからいただいた本でもあったわけだ〜。
この本は、森茉莉とフランスへのオマージュでもあり、
フレンチ好きな私もグッとき
ちゃったな。
|
パン屋さんの日差しの当たるテラスで、25年目のデート(?)。
「みどりちゃんって、最初に出会った時から児童文学の編集者が希望だったよね。」
「うん。」
「それって、たぶんあのマスコミ塾の中でもっとも目的が具体的だったと思うよ。」
「そう?」
「だって、新聞社希望とか、テレビ局希望って言っても、
それは就職先の企業であって目的じゃないからね。」
「あー。でも私、高校生の時は新聞部だったのよ(笑)。」
「へぇー!それは意外〜。」
「でしょ(笑)。」
「高校は長崎県だったよね。」
「うん。佐世保。」
「あー。佐世保って言うと、村上龍も同じ出身地だよね。」
「あ、村上龍、同じ高校のセンパイで、
新聞部だったのよ(笑)。」
「おもしろーい(笑)。小説『69』の舞台だね。」
「そう。」
「エンタープライズ入港反対!とかさ。」
「村上龍が書いていた時代の高校の新聞、すごく過激なのよ〜。」
「あはは。読みたいな、それ。」
「学校を封鎖せよ!とか、バリケード闘争!とか〜。」
「へぇ、村上龍の書名記事もあるの?」
「う〜ん、無記名だけど、彼が在籍中の記事だからね〜。」 |
|
「彼は新聞部だった3年生の夏、高校の屋上をバリケード封鎖し、無期謹慎処分されたんだよね。」
「今、とゆーか、私たちの世代でも考えられないわよね。」
「村上龍は1952年2月19日生まれだから、1962年の早生まれの私たちよりも10歳上だもんね。」
「長崎と言えばあとは原爆だけど、私の親の世代はほとんど語らないのよ。」
「そうなんだー。回りが同じ体験をしているから、わざわざ同じことを伝える必要が無いのかな。」
「でも、それは私の親の世代で、私なんかはまったく知らないことばかりだし・・・。」
「親とかに聞いたら、ちゃんと話してくれるんでしょ?」
「うん。やっぱり、強烈な体験だったようで、かなり鮮明に憶えているのよ。」
「そうかー。私は今日、神沢利子さんに逢うから、彼女の自伝を3冊、読んできたんだ。」
「まじめ〜(笑)!」
「それらは子供時代に過ごした戦前の樺太の思い出が中心だよね。」 |
▲パン屋さんの帽子のような
キノコ雲を長崎がかぶった、1945年8月9日。
|
私が神
沢利子に逢うために、amazonの古本で買って、
ほとんど一夜漬け(?)のよーに、一気に読んだ3冊。
▼
神沢利子『流れのほとり』
(1976.11.20 初版、福音館書店)
定価\1200→古本\358+送料\340
▲1931
年、樺太での少女時代の回想録。 |
神沢利子『いないいないばあや』
(1978.11 初版→1996.11.15文庫化、岩波書店)
定価\650→古本\267+送料\340
▲1928
年前後の樺太での少女時代の回想録。 |
神沢利子『同じうたをうたい続けて』
(2006.6.15 初版、福音館書店)
定価\1995→古本\381+送料\340
▲バラ
エティにとんだ手法の小品エッセイ集。 |
私にとっての神沢利子は、
ご存知(?)、『くまの子ウーフ』や、 『ゴリラのリラちゃん』などの
童話でしか知らなかったし、元々、私は児童文学関係の読書は薄いので、
今回のこの3冊は、 児童文学者が書く自らの児童時代とゆーことで、
なかなか楽しくも興味深い読書ができました。ありがとうございます。
簡単に「感想」(?)を書けば、
絵にたとえると、
『ゴリラのリラちゃん』や、『くまの子ウーフ』などの童話は、 「抽象画」で、
『流れのほとり』が 「具象画」で、
『いないいないばあや』が 抽象画と具象画の間のようなイメージですね。
今、東京では10時間もの長時間の
演劇 『コースト・オブ・ユー
トピア』が上演中で、
これは1848年革命当時のロシアの知識人たちが
たくさん登場して議論したり恋愛したりする群集劇なんだけど、
私が上記の神沢利子3部作(?)の次に読んだのが、
|
シュテルナー『唯一者とその所有』
(現代思潮社、訳;片岡啓治、
1967.7.31、原書;1845年)。
この本の末尾に有る解説は出だしがいきなり、
「1845年にあらわされた本書は、
一躍巷間の注目と論難の的となって、
3年後の1848年、
ドイツ革命とともに忘れ去られたといわれる。
そのわずか3年の浮沈には、
本書の一つの面が象徴的に示されている。」
と書いてあって、
書物は歴史の中で複雑な役割を果たす
のだな、と考えていたところです(?)。 |
まぁ、なによりも、本当はその10時間の演劇が見たいんですが(笑)、
北海道ではやはり見れないなーと、くやしいわけです(笑)。
でも、 本はその点、公平な「文化」ですよねー。
児童書はとくにそうあっていただきたいな、と思ったところです。
|
「そうなの。」
「ほら、みどりちゃんからさぁ、
神沢利子先生は三鷹に長くお住まいで、
今も現役でご活躍中です。
ご自身の幼年期をベースにした
創作『いないいない ばあや』(岩波書店)や
少女時代の『流れのほとり』(福音館書店)、いずれも素晴らしく、
北海道にお住まいのかたには、特に興味深いかもしれません。
もし未読だったらおすすめです。 |
って、メールもらっていたから、さっそく読んだんだ。」
「やっぱり、まじめ〜(笑)。」
「でも、お年寄りの話を聴くのって、面白いよね。」
「うん。」
「私
の義父も樺太生まれでさぁ。」
「そうなの〜。」
「まぁ、義父は神沢利子さんよりも10歳若いんだけどね。」
「でも、神沢先生と同じ風景を見てきたのね。」
「10歳の年の差って言ったら、私たちと村上龍と同じだね(笑)。」
「あはは。ほんとだー。」
「でも、義父は去年、亡くなっちゃってね。」
「ああ。そうだったわねぇ。」
「義父が生きているうちに神沢さんの自伝を読んでおきたかったな。」
「あ。」
「義父とは樺太の話はほとんどしたことがなかったんだよ。」
「私が親から長崎の原爆の話を聴いてこなかったのと同じね。」
「うん。義父の父、おじいちゃんとは少し話したんだけどね。」
「そう。おじいちゃんならば、神沢先生よりもさらに10歳は上ね。」
「お盆とかさ、遊びに行くと、おじいちゃんの相手をされて(笑)。」
「ありがち〜(笑)。」
「ふたりっきりでいてもしょうがないから、思い出話を聴かされた(笑)。」
「あはは。でも、貴重なお話〜。」
「だよね。おじいちゃんのほうが義父よりも先に亡くなっているし。」
「おじいちゃんの樺太の話だけでも聴いておいてよかったね。」
「川や海に鮭や毛ガニがうじゃうじゃいて、手で捕れたってさ(笑)。」
「う〜ん。よだれがでる〜(笑)。」
「毛ガニをリュックサックにいっぱい詰め込んで旭川の親戚に遊びに行った、とか(笑)。」
「そうよねぇ。神沢先生も辛い想い出ばかりではなくて、美しい想い出も書いているわ。」
「うん。沼田町に住んでいると、80歳以上の人がいると捕まえて話を聴いちゃうんだ。」
「いいわね。今、聴いておかないと・・・。とゆーのもあるわよねぇ。」
「今年、義父の一周忌があって親戚の方が樺太での話をしてくれて、とても良かった。」
「長崎の原爆もそうだし、そんな話をしてくれる人がだんだんいなくなるのよね。」
「うん。だから、みどりちゃんは本を作っているんじゃん。」 |
「軽く昼食を」と言いつつ、「宮沢賢治かよっ!」と言われつつ、レスト
ラン
『やまねこ軒』に行くが、激混
み!で、「やめましょう〜。」。
と、ただ2人でドライブをして午前中を過ごしただけになっちゃった、が(笑)。
私たちは25年ぶりに逢ったんだけど、『早稲田マスコミ塾』一期生は、
東京では数年おきに同期会をやっているようだ。
実はこの日の2週間前、9月12日(日)にも神田の中華料理屋で同期会をして、当時の教師も来てくれたそうだ。
そんな話をドライブ中にしつつ、みどりちゃんが、「私の久保くんの一番の思い出はね、箱根にみんなで旅行に行ったときのこと。」と、言い出した。
「ん?」・・・・・・私は箱根旅行の記憶がまったく無く、「箱根なんか行ってないよー!」と言い張ったが、どーやら、25年前、行ったらしい。がくっ。
「そこでね、みんなで足こぎボートにペアで乗ることになって、私と久保くんがペアになったの。」
「ふ〜ん。白鳥の形のボートみたいなやつかな?」
「ところが、久保くんも私も非力で(笑)、いくら足でこいでもボートがほとんど前に進まなかったのよ(笑)〜。」
「・・・そ、それが一番の思い出かよっ!」
・・・・・・その時、私は思い出した。
実は私は公園などのボートを見ると、なぜか冷ややかな恐怖を感じていたのだ・・・。
それって、私が無意識に自分の記憶から消そうとしていた、箱根のボート事件(?)のトラウマなのかっ!
今
年のゴールデン・ウィークに私は超☆久しぶりに公園のボートに乗ったんだけど、なんとか(?)、乗れた。
確かに25年前の私は、体重が50kg無くて、髪の毛だけが逆立った、マッチ棒のよーな肉体だったのだ〜。
それが今では、60kgのコメをかつぐことができる
メタボあがりの、プチ・マッチョ
(?)。
これって、進化!?
そう。そうなのだ。
みどりちゃん、って、あの
沼田中学校での『あべ弘士講演会』のきっかけになった、あべさんの紹介者だったのだー♪
で、ふたりで美術館の展示を見る。
いきなり、あべさんが書いてきた大量の本がすごいボリュームで展示してある。
さらに、デビューからはるか以前の油絵。・・・う〜む。すごい。あべ弘士は、最初っから、あべ弘士だったのだ。
そして、天井にまでとどく大きな縦長の和紙に一気に描かれた動物の絵が森のように林立している。
そのストロークの自由さ。それでいて、まるで科学者のような正確な骨格のをイメージさせるライン。
目だけではなく、触覚の画家、あべ弘士のダイナミズムとデリケートさを全身に浴びながら、あべジャングルを抜けると、
そこは見慣れた名作絵本の原画市場!
おお。これ、知ってる。あれも。
そこで着物を着た麗人が、みどりちゃんに話しかけている。
あべ弘士さんの奥さんだ。
その気さくさ、笑顔の明るさ、それでいて都会的な品が隠せない。
う〜む。私はほんの少しの会話で、あべさんの奥さんのファンになってしまったー。
さらに、暗いドームを抜けると、そこには、暗闇に浮かぶ、あべさんによる巨大な『ねぶた絵』。
私の町の『夜高あんどん』の絵を描いてもらいたいと、あべさんに語った私は、それが実現されていないことを、やや重く感じながら会場を出た。
▲左から、
神沢利子さんの長女で翻訳家の山田ルイさん、神沢利子さん、みどりちゃん、あべ弘士さん。 |
2Pm
美術館のロビーで、
あべ弘士さんと、神沢利子さんの対談が始まった。
この企画は急に決まり、告知も3日ほど前だったのに、
100人を超える観客が、熱心に聞き入っていた。
あべ弘士 (あべ・ひろし、1948年6月19日生まれ)
絵本作家。北海道旭川市出身。現在も旭川市に在住。
1972年から25年間、旭川市旭山動物園飼育係として勤務。
現在は退職し、絵本を中心に作品を創っている。
『あらしのよるに』(講談社)で講談社出版文化賞絵本賞、
産経児童出版文化賞JR賞を受賞。 |
神沢利子
(かんざわ・としこ、1924年1月29日生まれ)
児童文学作家。福岡県生まれ。
日本を代表する児童文学界の長老。
子供時代を北海道、樺太で過ごす。10歳代後半から東京に在住。
代表作は『いたずらラッコのロッコ』、『くまの子ウーフ』、
『銀のほのおの国』、『そりになったブナの木』など多数。
2006年、エッセイ集『同じうたをうたい続けて』を発表。 |
「対談」と言いつつも、
大半の時間はおふたりの著作を朗読する楽しい時間♪
中でもふたりの共作『ゴリラのリラ』ちゃんでは、
写真のように、みどりちゃんや神沢さんの娘さんも加わり、
にぎやかな演劇空間になった〜♪
|
続いて、ギターと歌♪
演奏するのは、あべさんの
1989年の
メジャー・デビュー作
『おっとせいおんど』の
最後のページに
楽譜が収録されている曲、
「おっとせいおんど」♪
なんと、作曲担当は矢野顕子!
それにしても、
メジャー・デビュー作がいきなり
大御所、神沢利子さんとのコラボ、
っーのも、すごいなぁ〜。
さらに歌&演奏は、
「くじらのあかちゃんおおくきなあれ」も♪
私は「おっとせいおんど」の
ギターのイントロのアレンジに
関心した。
まるで武満徹だ〜。 |
▲ギタリストは、あべさ
んの友人♪ふだんは大正琴の先生だそうです〜。
|
ひととおりイベント(?)が終わって、
いよ&いよ、ふたりの対談♪
あべさんは、なんと前夜11時に5回目のシベリア旅行から戻ったばかり!
一方、神沢さんはこの夏にアラスカ旅行に行く予定だったが、
体調を崩され、あきらめたところ。
でも、彼女もシベリア旅行はしているし、なによりも樺太に住んでいた。
そんなわけで話題は北方圏の自然と文化について〜。
まずは、おっとせいが海で踊っている姿を実際に見た話から♪
▲神沢さんは大きな身振りで、絵本『おっとせいおんど』を実演
(?)♪
特に私は神沢さんが語った、
樺太のオタスという集落の話に興味を持った。
オタスは神沢さんが少女時代を過ごした、
樺太の北にある炭鉱町「内川(ないかわ)」の近くにあった。
そこは、日本人でもロシア人でもなく、原住民が住んでいた地域だ。
もしかしたら日本人とロシア人から追い立てられた原住民が
隔離されていたのかもしれない。
なにしろオタスは、昭和初期に先住民指定居住地となっているから。
神沢さんは対談で、「オタスは私の原点です。」と断言した。
そこには、オロッコとギリヤークの
二つの原住民が住んでいた。
神沢さんは作家になりたてのころ編集者から
アルセーニコフ『デルス・ウザーラ』(東洋文庫)を
薦められて読み、大きなショックを受けたそうだ。
このシベリアの奥地に住む原住民を書いた旅行記は、
神沢さんの幸福でもあった少女時代の
知らなかった隣人の話でもあるからだ。
さらに話題は、シャーマンへ。
神沢さんは、「私、シャーマンが好きなのよ。」。
あべさんは、「北方民族を研究したいのであれば、
網走の北方民族博物館が
すばらしいよ。」と、教えてくれた。
また、神沢さんは10代のとき、樺太から札幌に引き上げてきたんだけど、
札幌での最大の想い出が、毎年2月11日に開かれていた
中島公園の凍った池での「氷上カーニバル」だそうだ。
私が今
年、ボートを
こいだ池だ(がくっ。)。
そこでは仮装した市民が踊ったり、熊がスケートをしたり、
「夢のよう」だったそうだ。
「今ではもう誰も知らないお祭り。」と、神沢さんは淋しそうに語っていた。
さっそく、あべさんは
「それ、絵本にしましょう!いいなぁ〜♪」、だって(笑)。 |
神沢さんから樺太の原住民の話を聞いた翌日の
北海道新聞の1面トップ記事がこれだった!
またしても、すげーグーゼンだぁ。
▼
▲オロッコはテントに住
みエゾジカを飼い、
ギリヤークは木の家に住み犬を飼っていた、
と、神沢さんは語っていた。
シカと犬は仲が悪いので、自然とそうなってもいたそうだ。
そんな前日に聞いたばかりの話が、当時の絵画に記録されていた!
|
企画もりだくさんでとっても楽しかった『ロビー・トーク』も終わり、そ
の後の「大サイン会」も終わり、
(私はびんじょーして、持ち込んだ『流れのほとりに』に、ちゃっかり神沢さんのサインをいただいた♪)
関係者が
美術館の館長室で歓談♪
みどりちゃんが、「久保さんも、どうぞ〜♪」って、私、関係者かよっ!?
▲白髪の神沢利子さんの右でカメラを持っているのが、神沢さんの次女の
安江リエさんで、その横が長女の
山田ルイさ
ん。
早速、ありが
とうございます!
差出人: みどり
送信日時: 2009年10月3日(土) 5:36Pm
宛先: 久保AB-ST元宏
久保元宏様
木
村捷司 (きむら・しょうじ、1905年〜1991年)画伯の記事も、神沢先生にお知らせします。
函館に、美術館『木村捷司記念室』があるようなので、
次に北海道にいらっしゃる際に、ご覧になれるといいのですが。
ところで、神沢先生の長女の山田ルイさんは、翻訳家ではなく、
長年教員として勤め、その後は、ボランティア活動を熱心になさって、
今は、先生のマネジメント的なことをなさっています。
次女の安江リエさんは、絵本や童話を書いていらっしゃいます。
あべさんの挿絵でも楽しい童話を書いていらっしゃいます。
|
ルイさんのお子さん、
月村未央さんご夫妻が、
2007年から
北海道のオホーツク海側の滝上町で
「月のチーズ」という名前で
チーズ作りをなさっています。
フレッシュなクリームチーズが
数種類だけですが、
とても美味しいので、
久保君のワインのおともに是非! |
旭川、札幌で密度濃く、ゆったりと過ごした時間と真逆の、
慌しく雑事に忙殺される1週間を経て、
先週末はもう夢のようです。
こんなふうにして、あっというまに何年も過ぎていくのですね。
生きていることを実感できる、充実した時間を増やさねば!
と思います。
久保君が東京にいらっしゃることがあったら、どうぞお知らせください。
それを機に同窓会を!
それでは、またお目にかかる日を楽しみにしています。
松永緑
|
9月26日に児童文学
者、神沢利
子(85歳)さんと交流した私。
それは25年ぶりに再会した、みどりちゃんからの紹介だったんだけ
ど。
で、さっそく2009年10月9日(金)、
札幌の大丸デパートで売っていたのを見つけた〜♪
個人で経営&製造しているのに、ちゃぁ〜んと流通に乗っかって、えら
いねぇー♪
▲私が
買ったのは、「プレーン」タイプ♪だから、合わせやすい〜♪
ほんのりした酸味と、アイスクリームのような食感♪おいしーい!
▲はち
みつとも、相性ばっちり♪あとは、ワインとの相性を調べなくちゃ(笑)。
|
|
▲左から、
彫刻家の
藤井忠行さ
ん(1943年生まれ)、今回の展覧会の展示の造形は彼の作品。もちろん、入り口の巨大な鉄9mm板のゴリラも!
みどりちゃんに優しく笑いかけているのが、旭川の児童文学を黎明期からささえてきた女性。
みどりちゃんの後姿をはさんで、
あべさん33歳の
1981年のイン
ディース(?)デビュー作
『旭山動物園日誌』(名作!)を出版した、出版工房ミルの代表。
みんな旭川の地元で、文化を育ててきた人ばかりだ。
この溶鉱炉から登場したのが、あべ弘士、なんだね〜。
あべさんの『旭山動物園日誌』の次の作品が、1989年の神沢利子さんの文による『おっとせいおんど』なのだ。
みどりちゃんは、みんなの話を聞いてから、
「1981年は特別な年なんだ・・・。」と、つぶやいた。
私が東京へ出た年でもあるんだけどね(笑)。
あべさんが昨夜11時に帰ってきたばかりの
シベリアの話をしていると、
神沢さんが、アラスカに行けなかったことを残念がる(笑)。
すると、神沢さんの次女の安井リエさんが、
「母も姉も行けなかったので、私が代表で行ってきました(笑)。」
と、アラスカ旅行の美しい写真を見せてくれた。
うかがうと、神沢一家のアラスカ旅行は、
交流のあった写真家・星野道夫の追悼でもあったそうだ。
▲アラスカで読書をする星野道夫。
星野道夫(ほしの・みちお)
1952年千葉県市川市生まれ。カメラマン。
1976年慶応義塾大学経済学部卒業後、
動物写真家・田中光常氏の助手を経て、
アラスカ大学野生動物管理学部に留学。
1996年8月8日、取材先のカムチャッカ半島
クリル湖畔にてテントで就寝中、ヒグマに襲われ急逝。
享年44歳。著書、多数。 |
見せていただいた写真の中に、
星野道夫を供養するトーテム・ポールが
あった→
トーテム・ポールの一番下にカメラのレンズを持った人間がいる。
そして、上のほうにあるクジラの黒い背中の、
潮を吹く穴に星野道夫の顔が彫られている。
このデザインは、沼田町と姉妹都市であるカナダの
ポート・ハーディに住む原住民クゥワキトゥルの作風に似てるなぁ〜。 |
▲トーテム・ポールは、
星野が帰りたかった日本に向けられて立っている。
|
アラスカの写真をみんなで一通り回し見した後、
みどりちゃんが、
「神沢先生、さっきのスケッチ、もう一度見せていただけませんか?」
神沢さんのバッグから、ごそ&ごそと出てきたのは、
5〜60枚のB5サイズぐらいの茶色い紙のたば。
「なにそれ?」
「すごいのよ、これ。」
それは神沢さんの叔父が、
ずいぶん前、東京の上野から北海道の稚内まで旅行したときに
書いたスケッチのたばだった!
う〜む。まるで、『東海道五十三次』!
次女の山田ルイさんの推理によると、
「スケッチの中に、進駐軍が出てくるのと、日食の場面があるのよ。
進駐軍が日本にいる間で 日食があったのは
1953年だけだから、
その年ね。」とのこと。な〜るほど♪
それにしても、おみごと。
修正すらなく、完璧な絵だ。
神沢さんに聞くと、プロの画家ではなく、シロウトだったそうだ。
描かれているのも、アイヌ人や路傍の市井の人々。
神沢さんは、
「旭川も数枚、描かれているから、みんなに見てもらいたかったの。」
とおっしゃるが、こりゃ、民俗学の資料としてもすげー価値だと思う〜。
|
▲上品な色もまた魅力。
|
▲さらに、神沢さんの叔
父が残したスケッチには、
少女時代の神沢さん(左)と、母(右)も。
神沢さん、利発そうな美少女だったんですね〜♪
|
▲私たちが興奮していた
ら、あべさんも身を乗り出してきた〜♪
▲あべさんは数枚を選んでカラー・コピーを指示♪
|
▲じゃ、次はどこへ行きましょ?
さすがに85歳の神沢さんは少しお疲れになったようで、私のマークXで
ホテルまで送る。
みどりちゃんは昼間のデート(?)のときに「私は神沢利子先生の作品で児童文学への道を決めた。」んだって言ってたけど、
たしかに、神沢さん、かなり魅力的な人だった♪
私のジョークに、一番最初に反応して声を出して何度も笑っていたし(笑)。
▲まずは、クジラの刺身
♪
最初っから、最後まで 日本酒「風のささやき」を冷で〜♪
これ、ここの女将が命名した、おすすめ。
かなーり呑んだぞ!
|
あべさんに私がグーゼン(?)ながら初めて会ったのも、ここだし。
「なつかしーなー!」と、思わず私が言うと、
あべさんも、「そーだよなー。久保クンたち、ここで呑んでたもんな(笑)。」
「わいわい、がやがやと、みんなで『あべ弘士講演会』を企んでいたら、
「がっはっは〜♪」
▲私の横にやってきたの
は、あべさんの奥さん。
とっても魅力的な方♪
|
盛り上がってきたところで、
あべさんが自ら、新作『3びきのくま』を
朗読!
旨い料理をつまみ、美味い酒を呑みながら、あべさんの朗読を聴く。
わー!わー!すげー、ぜーたくだ〜。
まるで、銭湯の湯船で北島三郎ご本人の「函館の女」を聴くよーなもんだ(?)。
▲手前左が、『3びきのく
ま』で文を書いた、
工藤 有為子 (くどう・ういこ)さん。
|
▲あべ弘士さんの登場
が、北海道の文化をどれだけ豊かにしたことか。
|
次から次へとやってくる文学者たち。
「ところで、あなたは?」
「 ヤミ米屋です。」
がくっ。
|
▲あべさん「おーい、み
どりちゃん。ういこちゃんを紹介するよ♪」
|
▲あべさん「ういこちゃ
んは、すごい作家になるよ。」
|
▲まだ女学生みたいだけ
どね♪
|
▲おしゃれな目黒さんの、おしゃれでクールでブラック(?)なトー
クも魅力♪ |
続いてやってきたのは、
九州から飛行機で千歳に来て、
レンタ・カーで帯広回りで
今、旭川に到着した、とゆー、
目黒 実 (めぐろ・みのる)さん。
1946年2月11日生まれの、九州大学の教授だ。
福島、兵庫、沖縄と、全国の
「チルドレンズ・ミュージアム」のプロデュースを手懸けたり、
行動する児童文学者だ。
|
さてさて、このあと、ど〜なったことやら。
みどりちゃんと次に逢うのは、また25年後かな(笑)。
旭川美術館 『あべ弘士 動物交響楽展 交差するいのちの詩(うた)』は、
2009年10月4日(日)ま
で♪
「まだ」、の方も、「もう一回」の方も、ぜひ♪
最終日には、あべ弘士さんも参加するフィナ〜レ
大イベントも企画されているよ〜♪
画像です。
差出人: みどり
送信日時: 2009年10月3日(土) 8:53Am
宛先: 久保AB-ST元宏
久保元宏様
おはようございます。
26日の記事(?)満載の『共犯新聞』を拝見しました。
あらためて、盛りだくさんの1日だったのですね!
|
ところで、
神沢利子先生の自伝的小説
『流れのほとり』が
紹介されているのは、
池
澤夏樹の『読書癖1』で
した。
分析も解釈もやめて、すばらしいと
ため息をつくしかないような本、
論じようという姿勢を捨てて
ファンになるしかない本、
そういう本もあるのだと
力をこめて言ってしまうと、
それ以上言うことはない。
|
という結びの文章に、深く頷いたものでした。 |
26日の画像を、いくつかお送りします。
▲ロビー・トーク
は、おふたりの共作『くじらのあかちゃんおおきくなあれ』を
まず神沢さんが朗読することからはじまったんだけど、
この日の夜は、一番最初に、クジラを食べたん
だよね(がくっ。)。
▲なんだか、幼稚園
の先生と、いたずらっ子みたい(笑)♪
▲「絵本」って、絵
と言葉。レノン=マッカートニーみたいなものだね。
美術館を出た階段のところで、館員の方に撮っていただいたものは、
私のデジカメにデータが残っていませんでした!(なぜ?)
『共犯新聞』にUPされているものを送っていただけないでしょうか?
神沢先生にプリントして差し上げたいので。
三四郎でのショットは暗くてぼんやりしていて、すみません。
▲またしても、「特
別」を体験した、私。
久保君を送ったあと、まもなくお開きとなり、
楽しい時間は終わりました。
神沢先生は、1人でゆっくりお休みになって、翌朝は元気一杯。
そして、温泉で疲れをすっかり落とされたそうです。
あらためて、いろいろありがとうございました!
松永 緑
|
神沢利子さんの初心者(?)には、
5冊セットの『神沢利子コレクション』が、便
利♪
これも、もちろん、みどりちゃんが編集したんでした〜♪