2009年2月15日、作家の村上春樹がイスラエルの文学賞『エルサレム賞』を受賞し、
エルサレムでの授賞式であいさつをした。
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Mr.TERA got
those worried blues♪
Lord, I'm a-going where I never been before♪ >村 上春樹氏のイスラエルでの記者会見は僕も非常に興味を持って、 ↑ ■ほんと、今回の村上スピーチはすばらしい。 加藤典洋が最新評論集『文学地図 大江と村上と二十年』(朝日新聞出版)で、 大江健三郎と村上春樹という現代日本文学を代表する国際作家がまったく交流していない点を指摘し、 それでもお互いがインディビジュアリストから出発し、 大江は『ヒロシマ・ノート』以降、村上は『アンダーグラウンド』以降、社会発言を行うようになったという共通点の多さも指摘しているけれど、 今回の村上スピーチは、大江のノーベル賞スピーチと比較されて今後、何度と無く語られることになるね。 こうなれば、年内には大江と村上の対談がどこかで読めそうだな♪ それが吉本隆明との鼎談になったら、大興奮だけど(笑)。どこかの新聞社か出版社、テレビ局かネット・ラジオでもいいから、企画してほし い〜! 村上も還暦だし、いよいよ日本文学の堆肥が発酵を始めたよ うな感じ♪ ■村上がスピーチの中で「壁」を象徴に語っているけれど、私がパレスチナへ行った1990年、ちょうど東西ドイツの壁が崩れたあとの時期で、 テルアビブのホテルで、ベルリンの壁崩壊の大イヴェントのニュースを見た。 ピンクフロイドが彼らのコンセプト・アルバム『ザ・ウォール』の曲を巨大な白い壁をステージに作って演奏しているのが印象的だったなぁ。 壁は20世紀的存在だけではなく、21世紀に入ってからも、パレスチナにもエジプト側に壁が作られたし、 そうイメージを広げることが可能な今回の村上スピーチは、さすがに重層的だね! >いろんな記事をネットで読んだけど、共犯新聞の記事が一番よかった。 ↑ ■彼のスピーチは2009年2月15日に行われ、私はその第一報を日本時間2月16日のサニー・アフタヌーンに、北海道新聞の夕刊で知った。 「村上春樹」と「パレスチナ」と言えば、私のキーワードでもあるので、キーワードが交差したのならば『共犯新聞』で取り上げない理由は無い、 とまず想っ た・わけ。 さらに、その短い記事を読むだけでも、このスピーチはかなり重要だ、とスグに気がついた。 で、まずは全文を英語の原文で読みたいと ネットで探しまくったけれど、スピーチの直後なのか、2月16日の時点では世界中のネットにはまだ登場していなかった。 だから、私が『共犯新聞』にこの記事をUPしたのは、2009年2月17日 4:14Amなんだけれど、作業としてはネット上で全文を探すことにほとんどの時間をついやしたのだぁ〜。 私が今回の『共犯新聞』用に訳するために引用した、たぶんア ラブ系の通信社のHPの原文もほんの一部で、 たとえば、「壁の側に立つ 文学者に何の価値があるというのだ。」と ゆー決まり文句すら無かったので、なんだか、さびしいんですが (がくっ。)。 まぁ、もうあれから10日以上が過ぎているので、村上春樹 「エルサレム賞」授賞式講演全文も よーやく読める。 たとえば私が読みたかった「壁の側に立つ文学者に何の価値があるというのだ。」の原文は、 「But if there were a novelist who, for whatever reason, wrote works standing with the wall, of what value would such works be?」だ。 なぁ〜るほど。原文では文学者その人よりも、作品について言ってるのね。書き手よりもテクストを重視する(?)村上春樹らしいレトリックだ。 原文を読む必要とは、こんなとこでも分かるな。 ■今回、改めて全文を読むと、彼が父親について語っている部分がある。 スピーチ直後はこの部分はまったく報道されなかったけれど、村上文学を研究する立場であれば、全ての中でここがもっとも重要だろう。 ↓
↑ ■村上春樹はデビュー直後の1980年発表の「中国行きのスロウ・ボート」に代表されるように、時に中華街を利用するなどして中国が小説に登 場することが 多い。 それは、おしゃれな神戸の高級住宅街出身でビーチ・ボーイズと缶ビールの小説家として登場したのだから、当初は微妙なエスニック感覚だった。 それが、1994年発表の賛否両論渦巻いた長編『ねじまき鳥クロニクル』で、 1939年のノモンハン事件を執拗に描いたとき、長年の愛読者の多くは彼の内部に潜む中国「問題」に気がつかされたと思う。 この作品が発表された当時、文芸評論家の富岡幸一郎は日本経済新聞に、 「かならずしもオトギ話めいたファンタジーの味わいではない。 もっと残酷な、或る深い喪 失感が漂っている。」 と書評を書いたけれど、まさに、この直感は「父が朝食前に毎日、長く深いお経を上げている」姿を見続けた少年が持つ感情を見抜いていたと私は 思う。 『ねじまき鳥クロニクル』発表当時の否定的な書評は、 「謎が解決されずに、いたずらに謎が深まるばかりだ。それは、答えを描くよりも作家にとっては安易な逃げ道だ。」ってな感じのものだったと私 は記憶してい る。 私にとっては少年時代に読んだマンガ、石森章太郎『幻魔大戦』や『サイボーグ009 天使編』が、膨らますだけ膨らませて連載が打ち切りに なった苦い経験 を思い出させるものだった(笑)。 だから、実は私にとっても、当時の否定的な書評は同意できるものだった。 しかし、村上春樹の父が中国の戦争で想像を絶する体験をされたことを知った今、ましてや、父が僧侶でもあった(!)と告白された今、 「謎が解決されずに、いたずらに謎が深まるばかり」なのにも、大きな説得力がともなって見えてくる。 そんな意味からも、今回のイスラエルでの彼のスピーチは重要なのだ。 ■あと私の「駄訳」だけど、朝4時過ぎまでかけて訳した翌朝、読み返すと、うっかり私の下訳をそのまま掲載した箇所が中ほどに二つあった (笑&が くっ。)。 私は自分が書くときは一人称を「私」にするんだけど、今回は村上文体を模写しようと思ったので(笑)、「僕」とすべきところを、まだ「私」の ままだった〜 (がくっ。)。 で、それを読み返すと、最後の書物と共有の関係についての 言葉が全体を貫く大きなメッセージになっていると気がつき、改めて最後の段落を膨らました。 ここ ↓
と、 ここ ↓
の関係が面白い〜♪ 日本での報道では、ガザ侵攻の批判が中心で、この部分の紹介はまだ『共犯新聞』だけ(笑)♪ >この記者会見に対しての世界の反響も追っかけていきたい。 ↑ ■2月も月末になり、各新聞の文芸時評が出揃ってきた。 当然のように、村上春樹のスピーチについても多くが触れている。 なかでももっとも異彩をを放っているのが2009年2月25日付け朝 日新聞での斎藤美奈子の文芸時評だ。 そこで彼女は、
と切る。 たしかに、ヘソマガリな視点だが、村上春樹自身がイスラエルで、
とスピーチしているのだから、斎藤美奈子の視点はかなり「作家」的「本能」だ。 また、この斎藤の視点については私も先週末に考えていた、 「感動」という罠 についてと同じ視点なので、またしてもその符合に驚いた。 このことについては私の先週末の行動の報告と合わせて、また近々『共犯新聞』1面トップに書くつもりだ。 >文学者、芸術家たちが物申す、きっかけになればいいですね。 ↑ ■NY911米同時多発テロをきっかけに、ねじが巻かれたインターネット版『共犯新聞』だけど、 文学者の池澤夏樹や宮 内勝典もNY911をきっ かけにインターネットで情報発信を始めている。 池 澤夏樹は2009年1月23日付けの朝 日新聞における対談で、
と語っていた。 もちろん『共犯新聞』の立場は、「大きな物語」も、「小さな物語」も、両方とも、だ。 |