もうずいぶん前のことになるけれど、 「人を殺す」ことと、「人を産む」こと、そのどっちのほうが罪深いのだろうか?と、考えていたことがある。 それは私に初めての子供が産まれたときのことだ。 生きたい人にとって、その人を「殺す」ことは間違いなく暴力だけど、 同じように、 死にたい人にとっては、その人が「産まされる」ことはつらいんだと思うのだ。 しかし、当然のように産まれてきた私の子供はまぶしいぐらいに「生きること」を全身で喜んでいるようで、 そうなれば、「産む」ことの罪深さを考えること自体が、罪深いのではないかという永遠の地獄ループにはまってしまった。 そして今夜、 「小説を読む」ことと、「小説を書く」こと、そのどっちのほうが罪深いのだろうか?と、考えて いる自分に気がついた。 そう。私はまた今夜、姫野カオルコを読んでいたのだ。 2009年1月12日、私は2 本の映画を観る前に、ブック・オフ札幌南2条店で 姫野カオルコの古本を3冊買った。 私が、この3冊を買ったのは、これしか売っていなかったからであって、この組み合わせは偶然に すぎない。 しかし、この3冊は、それぞれ、特 異なシチュエーションをあえて設定することにより、 その自らしつらえた高い ハードルを飛び越える「芸」そのものに劇的な環境を準備した作 品群、とゆー大きな共通点を持っていた。 ここ数年、登場してきている「達者」なエンターテイメント系の小説家は、ほとんどが、 このようなシチェーショ ン・プレイの設定の奇抜さと、その「つじつまあわせ」の手品で 客を呼び込んでいるかのようだ。 古川日出男しかり、恩田陸しかり、伊坂幸太郎しかり、森見登美彦しかり、などなどしかり、だ。 たしかに、戦争も革命も無い現在、「劇的」なるものを求めるとすれば、それは人工的なシチュ エーションとならざるをえないのかもしれない。 で、私が買った姫野カオルコの3冊も同様に、まずはそれぞれに奇抜なシチュエーションが与えら れている器である。 本が売れない時代のエンターテイメントとは、時代への嗅覚であり、たいこもち芸でもあるのだろ う。 姫野カオルコの「入り口」がそれであることは私も認めるし、またそれすらも「達者」である非凡 さに心地よい驚きも感じてきた。 しかし、それは「入り口」にしかすぎないのである。 我々は、自ら喜んで入っていった「入り口」の奥地で、体験してしまうのだ。
「罪深い」、とは何だろうか。
と、思いながら私はまた今夜、姫野カオルコを読んでいたのだ。私は、それは「神の目線」に侵犯することだと思う。 「人を殺す」、「人を産む」、そして、「小説を読む」、「小説を書く」。 それらは、人間の分際で「神の目線」に侵犯しようとする行為だから、「罪深い」のだ。 ひとりの人間は、ひとりの人生しか生きられない。 しかし、同じ時を、複数の人間が生きているわけで、それら全ての人生をわしづかみにしてし まうのが、「神の目線」だ。 姫野カオルコが執拗に手を変え品を変え繰り返すシチュエーションは、より複眼的に時を見つ めようとする方法であり、 そこにこだわる彼女が愛しているのは、ひとりの人間ではなく、無数の人間が同時に生きてい る、「時」そのものなのではないだろうか。 神と罪のパラノイアからはみだそうと、物語を自分のものにする方法として「自殺」と、「小 説を燃やす」、がある。 それらは、自らが完璧な支配者になることである。つまり、その行為によって、自分が擬似的 な神として完成されるということだ。 私はいつか「自殺」の代償として、「小説を燃やす」かもしれない。 そのときに選ばれる本として、ドストエフスキーはもっともふさわしいが、 ふさわしいばかりが正解ではないのが、またしても神の世界だ。 もしかしたら、そのときに燃やされるべき本は、姫野カオルコの小説なのではないか。 ▲2009年4月6日、姫野 カオルコ『コルセット』の中で効果的に登場するミネラル・ウォーター「Contrex (コントレックス)」を、ケースで(笑)買った。 フランスのコントレックス村で採れ る湧き水。 コントレックス村は、フランス北東部・ヴォージュ山脈にある。 コントレックス村の隣町は、Vittel(ヴィッテル)。こちらも日本ではお馴染みのミネ ラル・ウォーター・ブランド。どちらも高級リゾート地として有名。 硬度が1468と極めて高く、カルシウム、マグネシウム、サルフェートの含有が特徴。 マグネシウム塩のためか、薄い生臭さがあり、それが無味ではないことになり、水道水や他の ミネラル・ウォーターとの違いを感じさせる。 私は好きな味なんだけど、難点は、あまりにも、うさんくさい(笑)ラベル・デザインだな。 それにしても、小説に登場しただけでこんなに買うなんて、我ながらミーハーだなぁ。 がくっ。 |
常にプレゼント用に本を用意しているようだ。 私には、もー、そのノンちゃんの行為だけで、たまらんっ、なのだが(笑)。 ちなみに、いまだに年賀状は届いていない。
このノンちゃんによって選択された3冊の、ゆれ具合。それって、美しい「純情」だと太い鉄の棒のように思った私。 私はノンちゃんに幸せになってもらいたいなー、と、思うのである。 天才には、よけいなお世話だろーが。 がくっ。 その前に、また呑み&喰いに行 きましょ (笑)。 |
歴史から飛び出せ! ★たとえば→4月19日の歴史★ |
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